6月22日の『世界の何だコレ!?ミステリー』
”インドのとある兄弟(9歳の兄・5歳の弟)が失踪して、25年後に失踪していた弟とその母親が再会する”っていう話が取り上げられます。
これだけを聞くと…
・なぜ失踪したのか?
・兄はどうなったの?
・どうやって戻ったの?
など色々と気になりますよね。
その辺について書いているので、ぜひ見て行ってくださいね。
ちなみになんですが、親子が再会したのは2012年と、割と最近なんですね。
弟の名前はサルー・ブライアリーさんと言って、映画にもなっている実話なんですよ!
サルーの家族
弟(三男):サルー
兄(長男):グドゥ
実母:カムラ
妹:シェキラ
次男:カル
父親はサルーさんが3歳の時に家族を捨て、別の女性と結婚。
目次
【なんだこれミステリー】弟サルーと兄グドゥが失踪した理由
お金を稼ぐために駅で働いていた
貧しい家庭
失踪した兄弟ですが、2人に失踪する意図はありませんでした。
先ほど上に書いたように、この家族には父親がおらず4人家庭で、母親が仕事をして生計を立てている貧しい家庭です。
そんな母を少しでも助けるために、グドゥは最寄り駅から1時間ほどの「ベランプール」という駅で夜間に働き、サルーもたまに手伝っていました。
ベランプール
正確には「ブルハンプール」。幼いサルーは「ベランプール」と記憶していた。
サルーの故郷は実際は「ガネーシャ・タライ」と言うが、「ガネストレイ」と記憶していた。
サルーは正確な駅名・地名を憶えていなかった!
兄を探して回送列車に乗ってしまう
2人が失踪した日も、同じように「ベランプール駅」に向かいました。
しかしその夜、駅に着いたところでサルーは疲れ果てて、駅のホームにあるベンチで眠ってしまいます。
グドゥはやむを得ず、すぐ戻ってくることを伝え、サルーを置いて仕事に出かけますが…。
駅のホームで目を覚ましたサルーは、グドゥが戻ってこないことでパニックになります。
グドゥとはぐれたと思い、サルーは駅に停まっている列車に飛び乗りました。
そして列車は走り出してしまう…。
列車の中を探しますが兄の姿はなく、サルーは列車の中で眠ってしまいます。
どれくらい眠ったのかはわかりませんが、目を覚ました時にはまだ列車は走っています。
客など誰ひとり乗っておらず、その後更に数時間ほど停車するまで待っていました。
実はサルーが乗った列車は「回送列車」で、12時間以上列車に閉じ込められ、1600kmほど運ばれしまったんです。
着いた先はインドの都市コルカタにある「ハウラー駅」。
↑「ベランプール」からコルカタまで
弟サルーが失踪したのはアクシデントだったんですね。
そこから母カムラに再会するまでに25年です…。
兄グドゥの遺体が線路近くで見つかる
兄グドゥは亡くなってた
弟は回送列車に乗ってコルカタまで行ってしまいました。
ただ、兄は「ベランプール駅」にいたはずですよね。
しかし兄も家に戻ってきませんでした。
しばらく経っても兄弟は戻ってこず、母カムラは懸命に探しましたが…。
兄グドゥの遺体が線路近くで見つかります。
グドゥはサルーが列車に乗ってしまった日に、何らかの理由で列車に轢かれて亡くなっています。
なぜグドゥが列車に轢かれたのかは誰も知りません。
コルカタに着いてから→養子として引き取られサルー・ブライアリーに改名
言葉が通じない
家に帰ろうにも、5歳のサルーは字を読むことも数を数えることもできなかったとのことです。
自分の苗字もわかりませんし、住んでいた町の名前も正確に憶えていません。
路上生活
サルーの故郷もコルカタもどちらもインドではありますが、言語が違いました。
コルカタで使われる言語はベンガル語なのですが、サルーはヒンディー語しか使えません。
駅に着いてから必死に助けを求めますが、誰も言葉がわからないため通じません。
サルーは3週間ほどの間、残飯を拾ったり物乞いしたりして生活していました。
保護される
サルーを見かけて気の毒に思った男性が声をかけてきました。
3日間ほど自宅で預かった後、刑務所に連れて行きました。
その翌日、刑務所から少年院に送られます。
サルーさんはこの時を思い出し「周りが恐ろしかった」と語っています。
その後は孤児院に送られ、教育を受け、養子として引き取られることに。
オーストラリアのタスマニア州に住むブライアリー夫妻に引き取られ、名前も「サルー・ブライアリー」になりました。
「ブライアリー」は養子として迎えられた時の苗字ですね。
この時既に、兄とはぐれてから1年が経過しています。
ブライアリー家での生活
優しい夫妻
サルーは夫ジョン・ブライアリー、妻スーの家に引き取られました。
オーストラリアなので当然インドと生活は異なりますよね。
しかし夫妻は、急な環境変化でサルーが不安にならないよう努めてくれました。
インドの置物を用意したり、近所のインド人夫妻と話したりと、インドの文化に触れる機会作ってくれたんです。
「親切で、とても温かい夫婦でした。私のために、インドにも興味を示してくれる最高の人たちです」
と、サルーさんは語っています。
上の写真を見ればもう仲が良い事は明白ですよね!
2人に対して一切の抵抗もなく「お父さん」「お母さん」と呼びました。
しかし、故郷や家族のことをずっと考えていていました。
家族と別れて21年が経った2007年、養父母の家を離れてオーストラリアの首都キャンベラの大学に進学。
故郷を探し始める
大学には世界中から留学生が集まっていて、その中にインド人の留学生がいました。
サルーはその留学生と親しくなり、これまでの事情を説明しました。
そこから故郷への想いが強くなり、故郷を探し始めます。
しかし……前半の方にチラッと書きましたが、サルーは駅や地名を間違えて覚えています。
サルーの記憶では、駅が「ベランプール」で、故郷が「ガネストレイ」。
その名前で検索してももちろん見つかりません。
サルーが正確な名前を憶えていなかったため、故郷を見つけるのは不可能だと思いましたが…。
【なんだこれミステリー】サルー・ブライアリーはどうやって故郷を見つけたのか
上空から等の、景色を確認できる「グーグルアース」
探し始めて5年
駅の名前などを正確に憶えていないサルーでしたが、景色などは憶えていました。
そこで、指定したポイントの画像を見ることができる「グーグルアース」で探し始めました。
こんな感じに見れるやつですね!ちなみにこちらの画像、以前『なんだこれミステリー』で取り上げた、「時が止まる横浜の公園」のやつです。
「プール」が付く地名の周辺を探しましたが、インドには「プール」が付く駅名が多く見つかりません。
探し方を変えて、サルーが辿り着いたコルカタの「ハウラー駅」から、全ての路線をグーグルアースで辿りました。
ハウラー駅から1000km圏内全てを辿ったが見つからず…。
今度は1000km圏外を探し始めます。
2011年3月31日の夜、「ブルハンプール」という駅を見つけました。
サルーが憶えていた「ベランプール」と音が似ていますね。
ここが兄と別れた駅だと思い、故郷からの最寄り駅を探します。
そして故郷の最寄り駅「カンドワ駅」を見つけ、更に周辺をグーグルアースで探します。
そしてついに故郷「ガネーシャ・タライ」を見つけました。
こちらの地名も「ガネストレイ」と音が似ていますね。
養父母に「家族に会いたい」と伝え、養父母も快く送り出してくれました。
【なんだこれミステリー】サルー・ブライアリー約25年ぶりに母カムラと再会
故郷を離れて約25年が経った2012年2月11日、インドの故郷へ向かいました。
家の前には3人の女性が居ましたが、サルーさんは誰が母親か分かったといいます。
サルーさんはようやく家族と再会することができました。
そこで兄グドゥが亡くなったことを聞きました。
母のカムラさんは2人が居なくなった後探し回っていて、それでも見つからなかったため人を雇っていたそうです。
貧しい家庭であったため、以前より多くの時間働いたといいます。
移住を勧められていたそうですが、「サルーが帰ってきた時のため」とその場に居続けることを選びました。
サルーさんは養父母にメールで家族に会えたことを伝えます。
25年も経っているので、「最悪もういないかもしれない」と思っていたそうですが、無事に家族と再会を果たすことができました。
2人の母が出会う
翌年、サルーさんの実母カムラさんと、養母のスーさんが出会いました。
サルーさんとスーさんがインドに訪れたんです。
実は名前が「サルー」ではなかった
実は名前は「サルー」じゃなかったそうです。
実際の名前は「シェルゥ」で、「サルー」は5歳のサルーさんが間違えて憶えていたとのこと。
「シェルゥ」の意味はヒンディー語「ライオン」
サルー・ブライアリーの失踪から再会までの映画『ライオン ~25年目のただいま~』
全世界で1億ドルを超える興行収入
インドで生まれ育つも5歳の時に迷子になり、その末にオーストラリアへ養子に出された若者。
以後25年、不自由なく暮らしながら成長したが、どこか欠落感を拭えずにいた。やがて彼は決意を固め、記憶を頼りに故郷を探し始める。
最初に言いましたが、この話は実話で映画になっています。
25年の重みは私なんかでは語れないので、ぜひ映画を見て下さい!
かなりネタバレになっちゃってますが、それでも楽しめるものになっています。